インド旅日記-2 ヴィパッサナー瞑想
「痛み」はどこからくるのか?
どうして 「痛み」は起こるのか?
「痛み」
どうやらこれが今回の旅のテーマだったみたいだ。
まず、ゴアでは、アシュタンガヨーガクラスで、
まだ自分の体にこんなに硬いところがあったのか、と驚くくらいの激しい痛み。
そして、食当たりからの嘔吐。
バラナシでは、激しい頭痛と変な腹痛に襲われ、
デラドゥンでは4.5日下痢。
いろんな 「痛み」を短期間に経験した。
昨日、10日間のヴィパッサナー瞑想合宿コースを終えて、
デラドゥンの山籠もりから聖地リシケシへ下りてきた。
ヴィパッサナー瞑想とは、物事をあるがままに見、自己観察を通して心のわだかまりを解きほぐす、お釈迦様によって再発見された瞑想方法。
10日間の合宿中、9日間沈黙を守り(先生とは必要な時のみok)、読み書きもだめ、
インターネットも携帯も使えない、外部との接触を一切持たず、
1日10時間近くひたすら座って瞑想を続けるというかなりキビシイもの。
最初の2.3日は何度も逃げ出したくなったり、発狂しそうになったことも度々あった。
実際、女性参加者10名中2名は、2日目にして大変さのあまり去ってしまった。
とにかく、1-2時間ずつとは言え、1日10時間も座り続けるのがまずどうにもキツイ。
体のいろんな部分に激しい痛みが襲ってくる。
でも、集中力が極みに達してくると、痛みを超えて、深い瞑想状態へ入ることができる。
私たちは、痛みや苦しみ、嫌悪感、コンプレックスの原因を、
すべて自分の外にいつも探している。
でも、この修行を通して、自分の体を通してわかったことは、
これらはすべて、ほかでもない、自分の内から出てくるのだ。
過去に自分が積み上げてきた、心の奥底にある「濁り」に他ならない。
それは今生だけじゃなく、過去生からのものもあるかもしれない。
怒り、憎しみ、嫉妬、エゴ、嫌悪、渇望…。
潜在意識にあるこれらのものが、肉体を通して表面に浮かび上がり、
これが痛みやかゆみ、わずらわしい感覚として現われる。
その感覚に反応、反発して嫌悪感や陶酔感を抱くことで、
それらはさらに倍増してまた潜在意識へ刻み込まれる。
このヴィパッサナー瞑想では、痛みに反発や嫌悪感を抱かず、
あるいは気持ちいいという感覚にも浸ることなく、
ひたすら、客観的に観察し続ける。
そして、どんな感覚も、すべては浮かんでは消えていくという
「無常-anicca(アニッチャ)」
であることを自分の体を通して理解し、
完全に平静を保ち続けることで、
その心の奥底にある濁り、不純物の種を刈り取っていくという、
心の浄化のプロセスなのだ。
心地よい感覚に捕らわれてしまうこともまた、苦しみへとつながる。
そこに執着してしまうことで、それを得られなかった時に失望そして渇望に変わってしまうからだ。
この10日間の合宿で、自分とひたすら向き合い、
過去の出来事が走馬灯のように現われては消えていった。
そして、いかに自分の心の深い部分に多くの濁りを積み上げてきたか、
いかに自分の思考パターンがそれをさらに増やしているか、
いかに自分の心が平静さを保てていなかったが、ありありと見えてきた。
完全に、心の深いところからの浄化プロセスだった。
たった10日間のうちに、ものすごい生まれ変わったかのように感じる。
ものの見え方や意識の仕方が完全に変わっている。
「鳥がまず卵として生まれ、そこから今度は殻を破ってまた生まれるように私は生まれ変わった」
と、ゴエンカ氏は言っていたが、本当にそれくらいに、心の深いところからの変革をもたらすプロセスなのだ。
もちろん、10日間で悟りを得るわけではない。
でも、この合宿で瞑想のテクニックを習得し、これを日々続けていくことで、
自分の内からくる苦しみから少しずつ解放され、
心を常に平和に、日々幸せに生きていくことができる、
誰でも、どんな人でもできるテクニックなのだ。
日本にも京都と千葉にヴィパッサナーセンターがある。
http://www.bhanu.dhamma.org/index.php?id=1192&L=12
これは本当に素晴らしいものなので、
一人でも多くの人にぜひとも経験してもらいたいです。
すべてのものに、あらためて、心から感謝です。
そして、そして、
この世に送り出していただいた両親に、本当に心から感謝です。
ありがとう。















